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※このサンプルは相談者の許諾を得て公開しています。

【展開】

上段 The Fool / The Hierophant / The Art
中段 Knight of Cups / 3 of Swords / The Lovers
下段 8 of Swords / Prince of Cups / Adjustment

【概観】

中段中央には「3 of Swords」タイトルは「悲しみ Sorrow」。天秤座の土星を示す。タイトルの「悲しみ」は、仏陀が菩提樹の下で悟った瞬間の「慈悲」を表し、人間が逆らうことのできない宇宙の理(ことわり)を理解した仏陀の「世界の本質は悲しみである」という認識を意味する。

中段左には人物カード「Knight of Cups」。情緒、感情を最優先しながら、ある種の霊感、直感のもとに人生を統御する「水の火」というパーソナリティを示す。彼は輝く蟹を掲げ、足元には孔雀がいる。内向/内省的で自分の領域を確保しながら、美しいものにうっとりと見惚れる、好事家 / 芸術家タイプの人物像である。

中段右には絵札「恋人たち Lovers」。結婚式の風景が描かれており、背後にはメビウスの輪を纏った司祭がいる。婚礼を誓っているのは白と黒、陰と陽の対照的な二人であり、異なる二つが一つに融合する錬金術が示されている。「恋人たち」が象徴するのは「選択」であり、それは頭上の目隠しをした天使によって象徴される。選択とは、未知と既知との統合である。

中段3枚の並びからは、自分ではどうにもならない大きな状況に翻弄されつつ、その状況自体を理性的に受け入れようとしている相談者の態度が感じられる。様々なことが起こるが、それらは自分の運命であり、自分が選び取ったものであるから、そこから何か佳きもの、意味のあるものが、必ず後に汲み出されるはずだ、理解できるはずだ、という信念である。Knight of Cupsはパートナーか、あるいは相談者自身であろうが、彼は状況の困難さを「解決すべき問題」というよりは「美的体験」として感受し、味わっている。求道者、芸術家、思想家などが持ち得る態度であり、根底には「未知へと投げ出されること」そのものへの、前向きな期待がある。

下段中央にはもう一枚の人物カード「Prince of Cups」があり、中段左と同じくCups、水の王族の一人であるが、Princeはより若く、「水の風」というパーソナリティを示す。彼は蛇の入った杯を見つめながら、鳥のひく戦車にのって水面を漂っている。「Prince of Cups」は同じく幻視家であるが、より知的・精神的活動が活性化し、緻密な思考と計画によって芸術作品を生み出す建築家のような性質を持つ。

下段左には「8 of Swords」タイトルは「干渉 Interference」。双子座の木星を示し、水星の影響を受ける。頭の中の終わることのない自問自答、あるいは周囲の人物との絶え間ない議論や干渉により、言葉、思考がややオーバーフロウしている状態。コミュニケーションは活発であるが、必ずしも内実や建設的意見を伴っておらず、疲労感が漂う。

下段右には絵札「調整 Adjustment」。道化師のような人物が、細い一点でバランスを取っている。彼(彼女)は道化師であり、同時に宇宙の裁定者でもある。中段中央にある「3 of Cups 悲しみ」と同じく、天秤座に属し、(時に残酷な)公平さ、宇宙的理、動的なバランスを示す。

下段には、水の王族(ともに男性)、天秤座という中段のモチーフが反復されており、相談者の健在意識と潜在意識の間には大きなギャップがなく、ある意味「一色で」塗りつぶされているような統一感を与える。ともかくも相談者が求めているのは「霊感 / インスピレーション」であり、不可解な困難から何かを読み取り、理解しようとする意志である。しかし、理解しようとする力、すなわち思考、言葉の負荷は高まっており、堂々巡りの言葉のなかでの疲労感もある。それでいて、ギリギリのところで精神的バランスを保っている。

上段中央には絵札「司祭 Hierophant」。牡牛座を示し、宗教的・道徳的権威をまとった司祭が描かれている。上段左には「愚者 The Fool」、タロット絵札22枚の最初のカード、0番の札である。上段右にはやはり絵札「技 The Art」が並び、中段右で描かれた錬金術的婚礼の風景が反復されている。ここでも陰と陽、男性性と女性性という対立する二つが一つに統合されており、錬金術の壺からは小さな矢が垂直に上昇し、二つの顔を持つ人物のドレスを虹で彩っている。

絵札3枚が並ぶ上段には、今の状況、そして今回のリーディングに対する、重要なメッセージ性が示唆される。「司祭」が示す道徳的態度、分別をわきまえた大人であろうという姿勢と、「愚者」が示す内在的/本質的な自由さ、全ては宇宙の「遊び Lila」であることの悟り、そして「技」が示す、苦境から好機へ、既知から未知への変容は、相談者自身が強く意志し、確信し、牽引しているものであろう。

縦列でみてみる。中央列は下から「水の風」「悲しみ」「司祭」と並び、感受性豊かな若者が、その明晰な思考能力によって宇宙的理を悟り、責任ある大人に成長していくプロセスに見える。繊細なものへの感受性、形而上的なものへの痛々しいまでの探求は、今体験していること、宇宙それ自体の不可解さ、不合理さ、美しさの「甘受 surrender」を経て、一旦完成を見る。その後は、語りぬものを語り得ぬままに留め、沈黙と微笑によって柔らかく現実に着地していく大人の落ち着きへと変容していく。

左縦列は、下から「干渉」「水の火」「愚者」となり、この3枚に共通するのは「風 air」、人間の思考能力、言語能力、精神性である。ある程度成熟した審美家、芸術家として人生を切り盛りしている相談者自身は、自身の内に増加する言葉、思考の断片が、ストレスとなって蓄積しているのを感じている。必要なのは言葉、思考、ストレスの低減であり、それは「愚者」のあられもない野放図さ、自由さで示される。審美家から道化への転身、とイメージすれば、その驚きと楽しさが想像できる。前段で宇宙それ自体の不可解な「遊び Lila」に触れた。それは思考で捉え切れるものではなく、「愚者」の愚かしく楽しげな舞踊によって同調するものだ。ストレスも、審美眼も、愚かしさも、全て「風 air」、すなわち思考力、抽象力、精神力の異なる表情に過ぎない。

右縦列は、下から「調整 Adjustment」「恋人たち The Lovers」「技 The Art」となり、絵札3枚が並ぶ。研ぎ澄まされた精神力、集中力によって一点のバランスを保つ静けさから、未知そのものに自ら身を投げ入れ、必要に応じて捨てるものを捨て、代わりに得るものを得る「断捨離」の儀式を経て、合理と不合理、理想と遊戯、生と死の「統合」が理解される。



【総評】


現状の相談者の立場から見える風景、感じられている状況は、まぁ言えば困難、一種の苦境ではあるが、同時に相談者はその状況全体を俯瞰し、心のどこかで楽しんでいる、味わっている、そういう雰囲気が感じられる。それは一種、悲劇的な浄化(カタルシス)にも似た、ロマンチックな衝動である。社会に置いていかれるような、隔絶感のようなものを感じているなら、それはそういうロマンチックな情緒として、美的体験として、今しばし味わっていていいものだろう。婚礼の儀の前夜に、花嫁が身を清めるような、そういう空白期間としてイメージされる。

繰り返し強調される「風」の要素は、状況を思考によって、言語によって理解し、自分自身にも周りの人、社会にも「説明可能」なものにしよう、という相談者の力動がある。それは相談者の能力でもあり、目下のところ結果は上出来でもあるのだが、ストレスも蓄積しており、また根本的な課題、すなわち宇宙の本質としての「遊び Lila」、語り得ず理解もできない踊りとしての宇宙、人生というものへ入っていく(Initiation)段階にあって、相談者を困惑させ留めさせているものでもある。考えて理解し説明しようとする努力は、どこかで一旦、諦めなければならない。まぁそもそも、思考よりは美的感覚を優先する性質も幸いして、それほど難しいことではないだろう。愚者として踊ってしまえば、それでいいのである。

「人生が一旦崩れて再構成される」中で「出口がわからずグルグル回っている」感覚は、「恋人たち」「技」で描かれる結婚式、あるいはイニシエーションの儀式において、愚者が踊る旋回舞踏を、既に示唆している。つまり、それでいいのである。それは理解も説明もできないが、感動的で、楽しい。言葉で説明できる、あるいは他人が理解できる「価値」や「スキル」や「社会的ポジション」の類は、このイニシエーションにおいては「何も」手に入らないかも知れない。それこそが今回イニシエーションのポイントである。未知へ、無へ、遊びへと、リラックスして身を投げる時、宇宙そのものの渦巻く流れによって、踊りが始まる。踊りを止めているものは、理性、すなわち説明したい、という欲望だ。

上段3枚の絵札は、相談者がこれから向かっていく新しい自己像を描いている。立派な大人であり、同時に幼児のように自由で、ある意味狂っており、狂っているが故にうまくやれている、そういう熟達である。この熟達へと脱皮するきっかけは、菩提樹の下での仏陀の悟りのような、「宇宙の本質は悲しみである」というようなロマンチックなものであったが、濃厚なロマンティシズムはいずれ飽きがくる。一皮向けてしまえば、狂っていて落ち着いており、スキルフルな「不可解な自分」が踊っているのが、もうすぐ見えてくるだろう。


【アドバイス】
・考え過ぎを止める。温泉など、思考を停止させる趣味。
・「愚かさ」と親しむ。ベリーダンスなど、高尚さとは違う趣味。
・精密にバランスを保とうとするのではなく、大きく動いて旋回する。結局、すべてはどうにかなるのである。

 

【おすすめのおまじない】
・とんち。一休さんやナスレッディンホジャの物語。
・ダンス。最も自分らしくないと思われるジャンル、衣装。
・ダンスのパートナー。遊戯としての役割の交換。シリアス係ととんち係。

 



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