Liber AL vel LEGIS (Colloquial Translation) [2012]
バンギ・アブドゥル
Note by Bangi Vanz Abdul
1904年、エジプトはカイロにてアレイスター・クロウリーが受信した霊界文書「法の書」は、新時代の霊智を高らかに宣言!するというふれこみながらも、極めて難解晦渋・不穏なメッセージで埋め尽くされており、一部の物好き以外にとっては新時代の霊智どころかヤク中エロオヤジが受信した毒電波記録、的な評価に甘んじるほかなかったわけです。ところがどっこい、クロウリーはヤク中でもあり魔術師でもありましたが、スィンバーンを敬愛しボードレールを翻訳紹介したまっとうな「詩人」でもあったわけです。「法の書」翻訳にはいくつかのバージョンがありますが、どれもこの「ポエジー」をつたえることに成功した訳はかつてなかったといえます。
今回、法の書が授けられた「聖なる3日間」の朗読会にあたって、まったく新しい訳、「法の書」がたたえる芳醇なエロスとポエジー、美しい風景を味わっていただける新訳を用意しました。題して「こども・ほうのしょ」。小学5年生の聖子ちゃんと雄大くん、そして小学2年生の樹くんによるちびっこ口語訳で、この「20世紀最大の寄書」にエンコードされたうっとりするような不思議な風景を楽しんでいただければと思います
なぜちびっこ訳なのかって?それを説明すると長くなるのではしょっていいますと、クロウリーが予言した霊的新時代、すなわち「ホルスの時代」とは、先行する「イシス(母)の時代」「オシリス(父)の時代」から導かれる「こどもの時代」として位置づけられる、のであります。そこではこどものような無邪気さ、活発さ、残酷さによって彩られた新たな人間霊性による、全く新しい文明のステージが用意されているのです(少なくとも、クロウリーはそう信じたのです)。ですから、輝かしき「ホルス(こども)の時代」を宣言する最重要文書である「法の書」が、「ほうのしょ」として、こどもたちによるこどもたちへの語りかけとして表現されるということは、理にかなったことなのです。エヘン。
まー難しいことはおいといて、この古くて新しい「ほうのしょ」の世界に、ただ聴きいってみましょう。第1章の、天空の女神ヌイトが語りかける官能的な砂漠の夜、第2章で、秘密の太陽ハディートが伝えるひみつのおしえ、そして第3章で「闘いと復讐のわらべ神」ラ・ホール・クイトが語る血に染まった霊的新時代の予言…
きれいで、こわくて、ちょっぴりエッチな、砂漠の夜のファンタジーに、ご一緒しましょう…!
第一章:朗読・谷崎榴美 https://soundcloud.com/bangi23/hou-no-sho-liber-al-ch1
第二章:朗読・バンギ・アブドゥル https://soundcloud.com/bangi23/hou-no-sho-liber-al-ch2
第三章:朗読・マナイ https://soundcloud.com/bangi23/chfuzy0oktti
子どものための法の書
http://23youbi.seesaa.net/article/242582124.html
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クリスマスイブは自宅で聖母マリア像とキャンドルライトの即席アルターでワインを楽しんだら、今日クリスマスはかねてから暖めていたアイデア、「法の書」口語訳をなんとなく仕上げてしまった。一種のクリスマスギフトとして、ここに公開する。
20世紀の霊的巨人、アレイスタークロウリーが1904年カイロで受信したお筆先文書であり、難解極まりないと評判の「法の書」だが、おれはかねてよりその晦渋さよりも率直で官能的な詩的情景に心躍らせ、常々「法の書はまず詩として読め」と喧伝していた。しかし詩として読むには勿論原文にあたる必要があり、また幾つかの既存訳も訳詩としてのクオリティを追求しているものではないので、「詩としての法の書」はいずれ手をつけなければならないタスクとして胸裡に暖められていた。そして今回、儀式にもフィットする文語調の新訳を進める過程で、もうひとつの可能性、つまり子どもたちに向けて開かれた幻想詩としての「法の書」に思い至り、さくっとやってみた次第である。
この試みはひとえに純粋に美しい詩的情景として、ヌイトが直接に子どもたちに語りかけてもいいのではないか、という想いに依拠するものであり、子どもに対する教化を意図したものではないし、おそらくそのような狭義の意味での教化はそもそも不可能な代物だろう。しかしセレマイト(クロウリー信奉者)のご家庭で読み聴かせる絵本として法の書第1章があってもいいのではないか、程度にはその「教育的効果」を期待するものである。
そもそも「えほん・ほうのしょ」とするならば第1章のみ、それもヌイトが語る謎めいた暗号や深淵な教えはばっさり割愛し、天界の一行が降り立つ砂漠の夜、香しい汗の香水と燃え上がる蛇の炎、狂おしい愛の歌とその消失、というドラマにフォーカスしたものとなるだろう。まーそもそもはそういうイメージではじめつつ、とりあえず第1章全文を口語訳で訳出した時点で、対象年齢を小学校高学年以上とした「児童文学・法の書」という雰囲気にまとめてみたという訳である。小学校高学年向け、とはいえ、むせ返るような扇情的エロティシズムやニーチェにも通じるハードコアな思想は、間違っても学校推薦図書として夏休みの課題に選べるような作品とはなり得ないが、自分が読んだ「法の書」を、子どもに向けて再話するという行為それ自体が(クロウリー自身による付言を敢えて無視しつつも)セレマ探求の作業Workとして意味を持ち得るだろう。
原文はたとえばここで参照できる。訳出にあたり、国書刊行会から出版されている既存訳、およびOTO公式訳は殆ど参照しないで、原文から訳出した。そのため、一部文意解釈が既存訳と異なる部分がある。さらに、子ども向けの口語訳とするために、随所に意訳・簡素化を行っている。また、縦横無尽に張り巡らされたカバラ的暗号や象徴表現はそもそもが翻訳不可能なものである。しかし、ヌイトが直接に子どもたちに語りかけながらも、その思想、エロス、神秘的・美的強度を損なうことなくセレマのエッセンスを写しきったものと自負している。
是非、お子様に!
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(追記:文中、Ecstasy は「ひかり」とした。我ながら悪くないと思っている。)
(追記:「えほん・ほうのしょ」制作に協力してくれる画家、連絡乞)
(追記:なんだかんだでSor.Raven訳OTO公式訳は参考にさせて貰った。読み返すと随所にその足跡が残っている。ありがとう。)
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