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About Discordianism, ディスコーディアンについて

狂明 - 拡張神経系の夢、あるいは現代魔術のオントロジー

「エステティーク」VOL.2 日本美学研究書 (2015)

 

夢の解像度

 

 現代的な実践魔術の実技面には「意識的に、コントロールを保った、統合失調状態の誘発」と定義してまず間違いではない要素が、疑いなく存在する。そのような目論みにどのような利益があるのか、という問いにあたっては、翻って「無意識的な、コントロールを失った、正常な意識状態」という逆説と、そこから我々が日々得ている利益を精査する必要がある。

 

 社会的に「正常」と看做し得る振る舞い、意識状態には、多くの無意識的な要素が含まれる。我々は無意識に駅の改札を通り、食堂で昼食を採りながら無意識にTVから流れる情報を受け流す。コンビニでの手に取る商品は瞬時に選択され、なぜそれを手に取ったのか、思考することがあっても「なんとなく」そうなのだ、という結論に瞬時に帰結し、それ以上考えこむことはない。スナック菓子AとBの袋を手に、どちらを買うべきか悩み立ちすくんだまま5分以上経過した時点で、店員をあなたを訝しみ始めるだろう。秩序の安定度は、その機構内部にあって自動運転に委ねられる度合いで計られるといえる。「無意識的な、コントロールを失った、正常な意識状態」なしに、私たちは「自然に」歩くことすらままならないのである。

 

 昨日起きてから寝るまでの間、どのように過ごしたか回想してみよう。はっきりと自意識があった瞬間のことは思い出せるが、それ以外の時間は、曖昧で切れ切れな映像の束としてしか思い出せないのではないか。朝七:○○に起床し、深夜一:○○に就寝したとして、一八時間程、あなたがなにかしらを為していたのは間違いない。しかし、あなたがはっきりと思い出せる瞬間を拾ってあわせてみても、ほんの数分間程度の記憶しか想起できないのではないだろうか。思い出せない部分は、あたかも「意識を失っていた」かのように、ぼんやりとした、雑多な印象のパッチワークと化しており、その意味文脈は失われているように感じられるかも知れない。

 

 昨日一日に体験したことを、ほんの数分間程の印象しか思い出せないあなたは、驚愕しつつもこう反論するかも知れない。「思い出せないのは記憶の問題であり、必ずしもその時に無意識だったということを証明するものではない。現に私は、会社にいき、メールの返事を書き、会議で発言したのだ。」

 

 それでは、今度はあなたが「思い出せた」部分についてもっとよく見てみよう。その瞬間にどんな音、匂い、色を感じ、どんな気分だったか。どうしてそのように行動し、その結果どうなったのか、その瞬間の判断、体験が、自分の人生においていかなる意味や重要性を持つか、かなり明確に想起できることに、改めて驚かれるかも知れない。なぜ、このようにはっきりと想起できるのだろうか? 単に記憶の処理の問題であるならば、想起できない記憶と、かくも鮮やかに想起できる記憶の違いとは何だろうか。いずれにせよ、あなたが参照する自分自身の体験には、その「解像度」に驚愕すべき格差があることを認めざるを得ないだろう。


心理学者、人類学者、社会学者、呪術師

 

 このような私たちが織りなす「正常な秩序」は、その大部分が「眠っている人々」の自動的・催眠的営為によって恙無く運営されている。私たちが互いに眠りあうことで共有している「夢」を、心理学者アーノルド・ミンデルは「合意現実(Consensus Reality)」と概念づけ、心身的な無意識領域(ドリーミング)の走査から社会的再組織化(深層民主主義 Deep Democracy)へと至る一連のワークを「明晰夢」の技法として体系化した。

 

 一九六○年代後半から開始されたミンデルの「プロセスワーク」に多大な影響を与えたのが、カルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズ(一九六八)である。南米ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスに弟子入りした人類学者による記述として描かれる魔術的リアリティの世界は、二○世紀後半のスピリチュアル文化を方向付けるものとなった。しかしその実、「ドン・ファン」は額面通りのニューエイジ文学と受け取る訳にはいかない。それは、カスタネダがUCLAで人類学を学ぶ学生だった時に指導を受けた社会学者ハロルド・ガーフィンケルのラディカルな社会学的実践「エスノメソドロジー」の強い影響下にあったのだ。

 

 ガーフィンケルの学生たちは、社会秩序を成立させる暗黙知の体系、「ふつうの人々のふつうの方法」に肉迫して記述するために、「ガーフィンケリング」と揶揄される奇矯なふるまいを身につけ、安寧な秩序に異者として飛び込み、攪乱し、ほころびを露わにするトリックスター・ゲリラの一群として訓練を受けた。実在すら疑わしい呪術師が語る、途方もない魔術世界の人類学的記述を偽装した「ドン・ファン」シリーズは、冷戦構造下に硬化していく眠りの秩序を浸食するミーム(文化遺伝子)の媒介、ウィルスプログラムとして、ガーフィンケル理論の前線闘士カスタネダによって緻密に設計された「メタナラティブ」だったのである。


狂気の女神エリスの啓明

 

 一九六五年に初版が発行された「プリンキピア・ディスコルディア Principia Discordia」は、狂気の女神エリスを崇拝する「ジョークとしての宗教、宗教としてのジョーク」であるところのメタ宗教ムーブメント、ディスコーディアニズムの聖典である。信仰とは、虚ろな人の世を超越した「真理」を希求する営みであり、それ故に癒しや救済、共同体の調和をもたらすものであると一般的には考えられている。しかし、ディスコーディアンたちが崇める唯一の女神は、狂っている。彼らの言い分はこうだ。宇宙の根本原理が狂気と混沌であると信じることは、宇宙の根本原理が理性と秩序であると信じることと何ら変わりない。両者は寸分違わぬ論理によって矛盾なく論証できるのである。ディスコーディアンたちは、前者をエリス的錯覚、後者を非エリス的錯覚とし、その両方を同時に、自在に信じる高次の意識状態の「啓明」を説いた。このメタ宗教ムーブメントは、アラン・ワッツ、ゲイリー・スナイダーなど五○-六○年代作家たちの「ビート禅」に呼応する、ティモシー・リアリー、ロバート・アントン・ウィルソンら六○-七○年代のメディアグルたちの「ヒップスーフィズム」であり、「サブジニアス教会」や「空飛ぶスパゲッティモンスター教」など多くの傍流を生み出し今日に至る。


拡張神経系

 

 ミンデルの「明晰夢」、カスタネダの「呪術師」、ディスコーディアンの「啓明された狂気」はそれぞれ、知覚のフレームを再定義し、「現実」そのものを操作的(Operative)に捉え直していくという文明の新局面を準備するものであった。その文化遺伝子は、八○-九○年代に巻き起こるサイバールネサンス、陰謀論文化、ハッカーとサイバーパンク、新異教主義、現代魔術などのサブカルチャー、そして00年代以降の初音ミク、Ingress、バイオハックといった巨大な文化-経済潮流として発現していく。

 

 二○世紀を通じて、冷戦構造、消費経済、映像メディア網によってその制度的解像度と催眠的強度を高めてきた合意現実は、しかし九○年代以降の電子メディア環境によって、その巨大な質量の再組織化が開始される。コミック、アニメ、ゲーム、SNSが無数の創世神話、英雄譚=代替現実(Alternative Reality)を日々生み出し、電子化された書物が知の制度を更新し、電子化された貨幣が人生モデルと共同体の形態を更新する。我々が誰であり、何をするべきかを教える「大きな物語」を喪失した個々人は、幻覚性植物によるビジョンクエストに挑む孤独なシャーマンのように、無数に微分化された「夢」の光輝を旅し、各々の電子的な幻視体験から自ら神話を紡ぎ出さなければならない。それはあたかも、彩度を失った夢のほころびに浸食し、発光性胞子のコロニーを拡大する、新たな夢の生態系の発生を見るようである。

 

 一方で、惑星規模のメディアインフラが獲得した巨視的・遠視的な知覚様式は、原発事故、少子高齢化と経済成長プラン、テロリズムと戦争、壊滅的パンデミックといった俯瞰的知覚、ビッグデータを巡る「物語」の編集権を微分し、合意現実の構造内部に求心ベクトル(Official Reality)と散逸ベクトル(Unofficial Reality)の緊張を高めている。かつて人類が保持したことのない規模の記憶、夢、物語は自身の巨大な重力圏に自らを引き込み、無数の陰謀論が相互参照するハイパーリンクの網がその外郭を覆い尽くしている。この巨大で虚ろな球状のウェブこそが、二一世紀現在の人類が知覚する合意現実、サイバースペースの形態なのである。


魔術的オントロジー

 

 近代的パラダイムにおいて狂気として捉えられた幻視、解離、恍惚といった「病理」が、惑星を包む新たな知覚神経系としての電子メディア環境に発火する散逸型リアリティ=分裂症的環世界を旅するシャーマンの技能として要請され、もはやそこからしか文明の継続に必要なイノベーションを汲み出し得ない状況が生まれつつある。このように急激な「夢の相転移」に直面する我々は、夢、現実、狂気、そして魔術といった諸領域を、再び横断的に捉え直す必要性に迫られるだろう。

 

 巨大な夢と化した合意現実の機能不全をうっすらと感知しながら、それでも日々の殆どを宿命的に眠って過ごす私たちにとって、マクロレベルでの合意現実の不安定性は、ミクロレベルでの個々人の精神病理的危機とパラレルである。そこで要請される社会病理学的処方は、古い夢から目覚めると同時に、新たな夢を紡ぎ出す「明晰夢」の技法に参照されるだろう。明晰夢としての現実を生きる、現代魔術のオントロジー(存在論)は、もはや社会福祉的要請なのである。

 

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