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Miscellaneous,その他

「イザイホウ」(監督:野村岳也 1966)

[2015]

 

 ドキュメンタリー映画「イザイホウ」(監督:野村岳也 1966)は、沖縄県久高島で12年に一度行われる神事、イザイホウを記録したドキュメンタリー映画である。1966年の撮影後、40年以上の間公開されることがなかったが、2008年に久高島の最後の神女たちが高齢を理由に退任したことから、2009年に公開。神事イザイホウは、1978年を最後に執り行われていない。

 

ぶれ

 

 モノクロ16mmフィルムで収録された映像は、手持ちキャメラでぶれるカットが少なくない。斎場に集うノロたちの円を中心から360度見回すパンカットも、ぎこちなくぶれる。また荒波の中、小舟での一本釣り漁のカットは、撮影用チャーター船に三脚を積めなかったのだろう、手持ちで、しかも望遠で撮られているため、大きくぶれる「船酔いカット」となっている。

 

 これは勿論、スムースなキャメラ移動を可能にする、レールやクレーンといった撮影器材を島に持ち込めなかった制作上の制限、またステディカムも小型デジタルカメラも存在しなかった1966年当時の制限に依るものだが、それでいてむしろ、カメラマンの眼差しはこの「ぶれ」を嫌うことなく、積極的にぶれの中に踏み込んでいくような印象を受ける。それは編集も同様で、先述「船酔いカット」を、何度も繰り返し差し挟んでいる。意識的、無意識的な選択のさじ加減こそあれ、監督、カメラマン双方にとって「ぶれ」が重要な映像要素として本作品に織り込まれたことがわかる。

 

ながいもの  

 

 一方、本作品に収められた長回しカットの美しさは特筆に値する。途切れることなく連なる神女や、水を運ぶ子どもたちの行列、意味文脈から解放され催眠的なパターンと化して画面を満たす旋回舞踊など、あらゆる「長く連なるもの」を、そのフルサイズで捉えようという意志が貫かれている。無駄に思わせぶりな「間」の偽装も、時間軸を記号の断片に寸断し、もっともらしい意味文脈に再構成する傲慢もなく、ただ長いもの、長い空間、長い瞬間が、その長さのままに、必要な長さのフィルムにそのまま写し取られている。

 

 このような映像体験を享受する機会は、残念ながら現在においては少なくなっている。その理由として、一つに商業作品・メディアが宿命的に孕む時間フォーマットの制限、二つにそういった商業的諸条件により寸断された時間感覚に、視聴者の側のまなざしもまた慣れ切っていること、三つに、もはやそのように「長いもの」自体が、時間的にも空間的にも情報的にもコンパクトに寸断された現代の都市・メディア環境において、そうそう存在し得なくなったということが挙げられるだろう。

 

うねりとめまい

 

 フィルムの冒頭では、島の海産資源エラブウミヘビが、ノロの権益として一旦全て上納され、その売買で得た収入を島民に分配する司祭を頂点とした原始共産制度、ノロの私有地以外を島民で分配する、久高島の自然共産制度について語られる。島の経済活動、生命活動がノロを頂点とした蛇の如き「うねり」として維持されている。

 

 11月15日の「夕神遊び」では、童女のように姦しい「えーふぁい、えーふぁい」という嬌声に包まれ、神女たちが七つ橋を踏み外さないように勢い良く7度渡る。宗教儀礼というより遊戯のような趣である。続いて、洗い髪を垂らして行う「髪垂れ遊び」「花差し遊び」「朱づけ遊び」と段階を経て、儀式的に神女としての身なりを整えていく。走り、髪を濡らし、花を差し、粉をはたく。これら儀式の元像に、女児の「あそび」と渾然不可分な成熟過程のドラマを見ることは難しくない。

 

 11月18日の「アクリヤーの綱引き」では、神女たちとその男性親族が向かいあい、ともに撚り綱を手に取って揺らす。ここでは、長いもの(綱は蛇の性交を擬く)を介して、女と男、生と死、法悦と理性、柔らかいものと堅いものが、結びつけられる。

 

 蒲葵の葉の冠を付けた神女が森から出て、家に戻り、祝福される。蒲葵の扇を携えた舞で祭礼は完了し、その後はカチャーシー(大宴会)である。

 

 これら儀式のうたと旋回は、落ち着いたカメラワークで、ゆったりと催眠的に写し取られている。ここでは、ファインダーを覗くカメラマンも、ラッシュフィルムを見つめる監督も、その自意識が溶解して消え去ってしまっているようだ。いつ果てるともない生が、柔らかくぬめらかなうねり、めまいとなって、至福の場に満ちている。特にカチャーシーでの、普段着で踊りに興じる女たちの躍動感は圧巻だ。ほんの数秒に満たないシーンであるが、屈託のない、照れとも誇張とも無縁な伸びやかな踊り、手のうねりは、冒頭のウミヘビのくねりがフラッシュバックするように、それが蛇の擬(もど)きであることを暗黙の了解として伝える。祭礼イザイホウの至福は、島民が一つになって身を投じていく「めまい」である。

 

「ぶれ」と「めまい」の亀裂

 

 時代の美意識として、あるいは特に意識されることなく許容され、見逃された「ぶれ」と、「ながいもの」がうねり、引き起こす「めまい」の陶酔。高度成長期の只中に忽然と消えた秘祭「イザイホウ」へのまなざしに、21世紀の我々が再び入っていくための亀裂が、そこに口を開けている。

 

 忙しくぶれる自意識と、めまいに魅入られる無意識は、緊張関係にある。この緊張関係はそのまま、高度成長期の若く野心的な映画製作者の自意識と、久高島の閉ざされたシャーマニズムの場との緊張関係である。同時に、それを21世紀に再生し、そのまなざしに入っていく私たちがいて、1966年当時のまなざしそれ自体を、一定の距離からみつめている。

 

 「めまい」として立ち現れる祭儀を、みつめる1966年のまなざしは「ぶれる」。そのことは、その「ぶれ」はおそらく、1966年当時には気付かれなかったものであり、21世紀という第三の視点から眺めた時に発見されるものである。このことは、今我々がもう一度イザイホウを映像に収めるチャンスが得られたとしたら、どういう映像を求めるだろうか、と問うことで、より一層明らかになる。

 

 小型・高解像度で、フィルムの物理的な「長さ」の制約から解放されたステディカムによって、ぬめらかなうねりがゆっくりと、陶酔的にみつめられるだろう。日本語は遠景化し、テイルル(詠唱)の呪文の戯れに聴き入るだろう。現在の私たちの視覚は、ロン・フリック監督の70mmフィルム「バラカ」(1995)のように、イザイホウをまなざすことを欲望するだろう。

 

 冷戦が終わり、グローバル資本主義の物質的な風景を批判的にまなざす「バラカ」にはすでになく、背水の陣を弾いて高度成長に突入していく時代の「イザイホウ」に図らずも焼き込まれているものが、根源的な無意味から湧き出る歓喜、「めまい」に直面し、困惑する近代的自我の「ぶれ」である。この「ぶれ」、困惑の背景を、当時の世相を踏まえた「固いもの」と「柔らかいもの」の対比として、本作品の聴覚的要素、「ことば」から聴き取っていくことにしよう。

 

ウチナーヤマトグチ

 

 作品中のインタビュー音声として挿入される様々な話者の日本語、そしてナレーションがある。

 

 彼らが話す、本土の口語以上に整った「標準語」的日本語は、戦後アメリカ統治への反発として若年世代に興った本土志向から生まれた「ウチナーヤマトグチ」である。名も知れぬ神女の語りには、よりウチナー的イントネーションと語尾の特徴が鮮やかで、島の世話役男性の語り口はより標準語的である。また赴任中の若い女性教師と思われる声の主は、ほぼ完璧な東京風口語である。ここには柔らかな島の口語と、固く理想化された日本語のグラデーションが見て取れる。

 

 そしてこの作品の語りを構成する声として、もうひとつ重要な役割を果たしているのが、男性ナレーションだ。当世風の、力強く、どこか大仰なナレーション口調こそが、この「まなざし」と一体化し、軸となる主体の声だろう。それは堅く、どこかしら悲愴感すら漂わせている。当時のドキュメンタリー全般に共通する、時代のモードに過ぎない、というのも事実だろう。しかし、このナレーションを担当しているのが、本作品が撮影される5年前に亡くなった最高位司祭、久高ノロ(先代)の息子であるという事実から、これら言葉と意識と時代の複雑な断層構造を読み解くことができる。

 

先代・久高ノロの息子によるナレーション  

 

 この人物 は、本作品が収録される7年前、久高ノロ(先代)が死去する2年前に、久高島を訪れた岡本太郎氏を世話し、久高ノロ(先代)の肖像写真を撮影させた仲介者である。岡本太郎氏は本作品に収録された66年イザイホウにも参列し、風葬場の遺体を撮影して「週刊朝日」スクープ騒動を起こしているが、そのような物議を醸すコーディネートも、先代久高ノロの長男であり、66年時点の現役久高ノロの夫、という立場なくしては不可能だっただろう。この辺りの詳細は、現地取材に基づく研究者ブログ記事で明らかにされている。

 

 最高女司祭である母親の下、女5人に男1人兄妹の長男として生まれ、師範学校卒業エリートとして近代的思考に馴染んだこの男性は、母親と反りが合わず、度々衝突していたという。「神事は見世物じゃない」と、秘儀の公開に否定的だった母に対立し、当代の大芸術家、若く野心的な映画撮影班を島に導いた息子の軋轢。一見すると、古代宗教の最高司祭の「堅さ」と、消滅の危機に瀕する秘儀をメディアに開き保存しようとする「柔らかさ」の対比とも見える。勿論その見立ても充分に理があるのだが、ここではその「声」が纏う独特の「堅さ」に聴き入ってみたい。

 

こわばり

 

 東京オリンピックの2年後、大阪万博の4年前、本土復帰の6年前という時空間にあって、この堅く緊張したナレーションの声は、男性的に隆起し、緊張していく時代のエネルギー、高度成長期の戦後精神を象徴しているかのようだ。

 

 しかし、写像されたフィルムは、その後40年間もの長きに亘って封印されることとなる。それは監督の野村岳也氏が久高島神女たちを前に完成試写をした際、この作品を公開して欲しくない、という神女たちの言外の意向を強く感じとった故である。堅く緊張した「語り」は、再び女たちの柔らかな沈黙に包まれ、40年、沈黙の胎内で夢見に微睡む。ドキュメンタリー作品「イザイホウ」が生まれでるまでの40年間が、本作品の夢見を深め、21世紀に運んだのである。

 

遊びと神事、昭和のカタレプシー

 

 「遊び」と「神事」は、本来境界のない一体のものであり、両者は恍惚によって結びついている。その「遊戯=祭礼」の場に現れる化粧、見立て、擬き、うた、旋回は、男性の労働と死に対峙する、女性の創造と生のエレメントである。そしてその両者を結びつける「ながいもの」が蛇である。子どもは蛇を擬き遊び、官能に目覚める。女は蛇の依り代(蒲葵)を纏うことで神女となる。

 

 閉じた円環の中で、繰り返される生と死の狭間に充満するものは、つまり愛であろう。ここではより直裁に、愛らしさ、と言い換える。それは海で死んだ夫をどこか遠くの出来事のように語る神女の、シャーマニックな愛着であり、個が個に執着する「恋愛」とは位相の異なるものだ。

 

 この愛らしさは、近代的自我が担わされる「自己実現」や「社会正義」といった「意味」とは異なるものであり、そこから純粋な歓喜が湧き出る根源的な「無意味」である。それは近代的自我が遠ざけつつ憧憬するものであり、「イザイホウ」からこぼれ出す陶酔、蛇のシャーマニズムの実相である。無意味と歓喜、遊戯とめまい、聖なるながいもの。久高島に生き生きと保存されたそれらに直面し、カメラマンは困惑と硬直を画面の「ぶれ」として刻み、監督はフィルムを封印せざるを得なかった。昭和という時代に避け難かったこのカタレプシー(硬直症)の実体は、何だったのだろうか。

 

 この年のイザイホウを取材した岡本太郎は、4年後の大阪万博で「太陽の塔」として、断首され、稲妻のように流れる血が溜る胎から新たな顔と翼が湧きでる「頭なき神」アセファルを建立した。万博終了の2ヶ月後に、三島由紀夫が断首切腹する。外骨格の緊張が瓦解し、うねりくねる腸として立ち上がる蛇の生が予感され、畏怖と困惑のさなかに投げ込まれる時代であったと言える。

 

 こういった神話的な象徴作用は、当時明瞭に意識されていたものではないだろう。伝統を近代的理性の下に開かねばという問題意識、若者の本土志向のモードであったウチナーヤマトグチ、強張るナレーション、ぎこちなくぶれるカメラといった、男性的な「ぶれ」の要素は、神事、遊び、うた、旋回、果てしない蛇のうねりという「めまい」に対する、魅了と困惑の入り交じった反応である。

 

「イザイホウ」に視得るもの

 

 「イザイホウ」は、そこにもはや再演されることのない失われた祭礼が記録されていることよりも、直線的な時間、「歴史」という枠組みそれ自体の虚偽性を暴く、永遠にうねる曲線的な蛇の呪力に触れて、当惑し、硬直し、ぶれながら、無意識の底からそれに魅せられてしまう、あられもない変性意識状態が克明に記録されていることが、メディア史における重要な参照点となっているのである。

 

 映画の終盤、唐突に中学校での音楽の授業のシーンが挿入される。そこで歌われる学校唱歌は、固いピアノと日本語で明るい「意味」の世界を鼓舞する昭和のうたであり、イザイホウの柔らかくうねるテイルルと真逆のうたである。澄んだ面持ちの子ども達が、美しいハーモニーに身を寄せている。「イザイホウ」の「ぶれ」は「ぶれ」として意識されることなく、固く明るい昭和日本の顕在意識として固着していく。そして、40年間封印されていた映画「イザイホウ」は、2009年に公開され、その2年後に福島原発事故が起こる。今この作品を再びまなざす時、そこに写し取られた「ながいもの」のうねりとめまいが直裁に視得るか、むしろ激しい「ぶれ」の反応のほうが際立って視得るか、そこには個人差があるだろう。この作品は、まなざす人の無意識の有り様によって見えるものが異なる、変性意識そのもののドキュメンタリーでもある。

 

 

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