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時間憲法

Constitution of Time [2012]



そのアイデアは昨年11月頃、東京から岡山への約10時間の(助手席での)ロングドライブの最中に、ふと閃いた。

 

 

311、未来への想像力

 原子力技術の問題点は様々なレベルで論じられるが、「未来に対する責任」を問う倫理的な問題としての批判は思いのほか少ないように思われる。当然そういった視点からの危機感は広く共有されてはいるだろうが、明瞭に言語化されてないのではないか。

それはひとえに、我々人類が10万年ものスパンの時間軸を扱うだけの想像力を持ち得てないことに依るのではないか。

 手元に資料がないのでうろ覚えだが、フィンランドのオルキルオトに建設される放射性廃棄物保管施設は、10万年後の文明に対して「ここに危険な放射性廃棄物が保管されている」ことを伝えるための施設デザイン案を公募した(だったと思う。ヨーロッパのどこか他の施設かも知れない)。10万年後となると文明も言語もどうなっているかさっぱり予測できないので、鋭角でトゲトゲしく向き合う灰色の塔など、象徴的・元型的なレベルで「入るなキケン」というメッセージを伝える建築デザインのコンペティションとなり、数点みた応募作品の戦慄が走るような美しさに息を飲んだ記憶がある。これなどは、人類が10万年後の世界に対する想像力を獲得しようともがき、メッセージを伝達しようという意志を表した例だが、他にも同様のスケールの時間軸を扱うプロジェクトがあるとは寡黙にして聞かない。

 現在の未熟な原子力技術の根本的な問題点は、未来に対する無責任だ。未来に対するViolationがかくも公然と行われる理由は、それが悪いことだと考えていないから、すなわち時間軸に広がる想像力と倫理を未だ人類が獲得していないからだ。しかし、311を経て我々は数千年、数万年単位での汚染という危機に直面し、それが今日明日の日常の危機と地続きであることを思い知った。

 広島、長崎、福島と3度に渡る核汚染を経験した日本人の脳神経回路に、必然性に導かれて遂に発火するあるアイデア。それは空間座標のみならず時間軸座標に拡張される倫理の体系、すなわち時間憲法 Constitution of Timeだ。(※1)

 

 

空間の倫理/時間の倫理

 「人権」や「平和」といった、これまでどうにかこうにか人類が獲得してきた(いわゆる)「人類普遍の価値」と並び、次なる文明の成熟段階において必ずや到達するであろう、その到達なしには文明の終焉を覚悟するほかないであろう(進化をやめた生命が留まることはない。進化を放棄した瞬間、それは直ちに退化し始める)人類の新たな倫理、その表現形態が「時間憲法」だ。

 人類の現時点での倫理的到達点は「空間的な」想像力に依拠している。万人は「地球上のどこにいても」すなわち「空間的」に等しく尊重され、幸福を追求し、相互理解と寛容をもって平和と繁栄を目指すという倫理的責任を、人類はどうにかこうにか獲得した。これだって割と最近のことだ。大航海時代を経て通信衛星と電子メディアによる「空間のフラット化」が、「空間的」人類普遍の価値というものをかろうじて生み出した。エチオピアの飢餓は救済されねばならず、中東の民衆は独裁政権から保護されねばならず、男女は同じオフィスと給料で労働できなければならない、という訳だ。

 交通と通信の技術発展は、この惑星表面の有限性の認識に基づく「最大多数の幸福」を追求する必然として「球形の膨張=フラット界面の獲得」という結論を既に予感させている。次に起こるのは、情報技術の発展による「記録」と「記憶」とのフラット化と、「歴史」の変容、率直にいえば「時間の終わり」だ。

 

 

単線時間軸の終焉

 いうまでもなく「歴史」は常に解釈され、変奏され、改変され放棄されてきた。ボトムアップ式に生成と淘汰のメカニズムによって形成されてきたのが「神話」であり、国家をはじめマルチレベルなコミュニティにおけるコモンセンスによって定義・運用されてきたのが「歴史」である。しかしその両者は、現在の情報技術的状況において避け難い変容を迫られている。(※2)分散型ネットワーク上にあらゆる出来事が記録され、ハイパーリンク化された無限のコンテクストが一瞬一秒生成され続けるこの世界で、歴史の単一性、神話の権威、すなわち「単線の時間軸」はもはや不可能となる。全ての起こりえた過去と全ての起こりえる未来が融合・フラット化した時、人類は「異なる時間軸」間の交通を確保する基本ルールのグランドデザインを獲得しなければならなくなる。(※3)

 


時間憲法 Constitution of Time

時間憲法は、大きくは上記二つの「時間軸上に拡張される倫理」と「異なる時間軸間の共有倫理」を規定する。我々は未来を略奪してはならない。我々は過去を搾取してはならない。我々は異なる時間軸を尊重し、相互理解と共存を目指さなければならない。異なる時間軸間の使節、また旅行者は、その安全と権利が保障されなければならない。

この新たな倫理の獲得と表明によって何が起きるか。

それは現在の原子力技術の何が問題でなぜ克服しなければならないのかという問題に、倫理的基盤を提供する。

それは異なる時間軸の共存を可能とするための倫理的基盤と実践のグランドデザインを提供する。

そしてもうひとつ。これは後述する。




 目下のところ、時間憲法そのものについて語るのはここまでにしておこう。現在、憲法学者やアーティストなど様々な人たちとアイデアをシェアし、協力関係を築き、さらに深く掘り下げながら「憲法草案」というかたちに纏めあげ、しかるべきタイミングで公開する準備を進めている。

 この憲法草案はオープンソースプロジェクトとして共有される。すなわち、ネットワーク化された集合知による人類最初の憲法をつくる、という実験でもある。

 

 

余談

 人類学者/化学者テレンス・マッケナの「タイムウェーブゼロ理論」では、火の獲得から車輪の発明、自動車や航空機に情報ネットワークへと至る人類の技術の進化は、累乗的な加速度を伴っているとする。すなわち、車輪から自動車までの進化に数万年を要したのに、自動車から航空機までは僅か200年程度で到達、飛行機から月面への人類着陸は僅か50年ほどしかかかっていない。この加速度曲線を基にマッケナはタイムマシンの発明を2012年と予測した。しかし、2012年すなわち今年中に、人類はタイムマシンテクノロジーを獲得できそうかというと微妙なところである。これはどういうことだろう。

2012年を「タイムマシンテクノロジーの実現」ではなく、先述のような「時間概念の拡張」として捉えると、昨年末からおれの頭に飛来し今このブログ記事として公にされた時間憲法プロジェクトの持つ意味が見えてくる。

 もうひとつ。
 「時間憲法」は、「異なる時間軸間の使節・旅行者の安全と権利」を保障する。
人類の意識と文明の成熟度がこの時点に到達したことを見て取った瞬間、既に「異なる時間軸間の連合文明」を実現した知性は我々の時間軸に外交官を派遣するだろう。そして我々に、いわゆるタイムマシンテクノロジーを贈与するだろう。

 タイムマシンテクノロジーとは、我々人類自身が、現在の科学技術の延長線上に発見・獲得しなければならないものではなく、またそんなことは不可能かも知れない。しかし、我々がその技術を所有するに値する、高い文明度と倫理哲学を獲得した高度な知的生態圏であることを証明できれば、それは突然我々の時空間に穿たれた穴を通じて、渡航の安全と真摯な対話の機会を憲法によって保障された時間外交官の公式訪問をもたらす合理的な理由となり得る。

 このプロジェクトは2013年を目標として設立されるNPO法人「瀬戸内海文明デザイン&コミュニケーション」の最初のプロジェクトとして推進される予定である。書き足りないことも膨大にあるが、ひとまずは筆を置く。

2012年2月22日 常に新しい都にて
KAOTAOATOAK

 

 

※1
「憲法」と書くと大事に思えるが、英語では日本国憲法もWHO憲章も同じConstitutionである。時間に関する人類普遍の倫理を規定するConstitutionは、たとえばWHO憲章やユニセフ憲章などと同じレベルで実現可能なことに過ぎない。

※2
記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済 武邑 光裕 [ amazon]

※3
黒人も白人もイエローモンキーもわたしたち人類皆兄弟。イルカもクジラも宇宙人もお友達。我々はみな「この」宇宙の「わたしたち」これに根本的な異論が唱えられることは現代ではそうそうにないだろう。翻って時間憲法が提示する新たな挑戦の地平とは、ご先祖様も未来人も、「全てのあり得た、あり得る宇宙」のみんなが「わたしたち」だという認識に我々が到達できるかどうか、ということである。放射性廃棄物の件をみても、現在の人類は未だこの認識に到達し得ていない。

 

 

 

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